花子は今日も書く

書かないと死んでしまう。人生からくだらない毎日まで、徒然なるままに

つまらない仕事徒然

花子はいま人生で1番良い職に就いている。

定時で終わるわけではないが、安定して産後復帰もしやすく、収入もそこそこ(多くもなく、少なくもなく、ごく普通)、人からイイナァと言われる職業だと思う。

この仕事に決めたのは、花子の10代の影響が大きい。
離婚後に急激に貧乏になり、一家離散したことから、花子は絶対自分の子どもには、こんな思いをさせない!と誓って、離婚しても(結婚もしていないが)一人で家族を養える職に就こうと思ったのを契機としている。この思いは執念に近い。“私が働いて稼ぐ”。

職業の選択理由
・安定した収入
・産休育休がとれる
・産後復帰もしやすい
・退職金が出る
・人に誇れる仕事 等

もうこれを並べただけで、イキイキ働く!をモットーとしている人からは、やる気が出ない仕事の選び方の宝庫だと言われそうだ。なにがやりたい、なんて選択肢はハナからない。どうすれば安定した収入を得て、女ながらに長くやっていけるかが最重要課題だからだ。

そのため、最初からすごくやる気に溢れて仕事を始めたわけではない。与えられたことはもちろん全力でやる。全力でやっても、足りないぐらいだからアップアップしながらやる。もう先輩たちが優秀すぎて(そうでない人もいるが)、ここにいてスミマセンなんて気持ちになりながらも頑張る。

そうして頑張ってきたが、花子はやる気を失っている。もう生きる気力の喪失といっていい。やりたい仕事ではない、願わくば寝ているあいだにAIが片づけてくれないだろうかとか、この嫌なイベントが終わってくれないかとか、早く週末になれと呪いをかけてみたりしながら毎日を過ごしている。周囲にも恵まれ、仕事内容もそこまで過酷ではない。むしろ今までの職業のなかではホワイト企業だといっていい。しかし、死にたくなるほどやる気が出ない。

今まで週末になれば早起きして、今日1日をワクワクどのように過ごそうかと思っていた花子はいない。早く週末になってほしいと願いながら、ドナドナさながら通勤しているにもかかわらず、週末になると動けない。週末が来てもやりたいことがない。連休もずっとゴロゴロしている。休日家でじっと出来なかった花子が、もう芋虫さながら朝から晩まで同じ格好でいる。

人は、心を殺して、やりたくない仕事を淡々とやる生活を続けるとこうなるのか、と唖然とした。そもそも、自分の子どものためにした職業選択だが、子どもはいない。結婚すらしていない。相方はまだ結婚どころではない(気持ちのうえで)

花子はアラサーにありがちな“結婚してよ”猛攻撃をかけて、撃沈を繰り返した。ブーメランのように自分が傷ついて終わる。この仕事を続けることに、誰か意味を与えておくれ、とばかりに子どもが欲しかった。何かのために頑張りたかった。

自分のためには頑張れない。自尊心が低いせいだと言われるが、そうかもしれない。自分のためだけだったら、さっさと辞めて、時給そこそこの接客業をして、人に毎日ありがとうと言われる販売員をやりたい。販売のアルバイトをしているころは楽しかった。ただ電卓をたたく日々より、何倍も楽しい。そこには“花子”という人格がある。工夫や笑顔で応じてくれる人間がいるが、数字の向こうには何もない。ロボットでもできるような仕事(ロボットのほうが優秀)な仕事を淡々とやる日々に、花子の何かが削れていった。

 

いま3年目。

 

まだ辞める勇気は出ない。この仕事に就くために並々ならぬ努力をした。

いま、仕事を選択しようという人がいるなら声を大にしていいたい。

しっかり自分と語りあってから仕事は選んだほうがいいぞ、と。

ほんとうにあなたは、その仕事を40年間続けられるのか。

 

生活のために仕事はする。職を見つけるのは大変だ。花子もハローワーク通いしたり、お祈りメールをもらったり、貧乏すぎる一人暮らしでブレーカーを落として過ごしていたこともあった。貧困と隣り合わせで仕事を選べない時は、仕事内容の意味をそこまで考えてはいなかった。「食べていける、良かった」と。

 

安定した仕事、生活が続くと、人はこうも欲が深くなるのかと花子自身驚いた。もっと自分を見つめて仕事を選べばよかったと思う。割り切って始めたはずの仕事に自分の何かが削られていく。今はひとまず“置かれた場所で咲こう”と思うが、そのままだとやがて花子は散る。なんとかせねば。。