花子は今日も書く

書かないと死んでしまう。人生からくだらない毎日まで、徒然なるままに

01 1度目の挫折/花子の人生

 

中学時代は不登校で、17歳でオジさんに強姦され、借金を持つ、という、どこかで聞いたことがあるような、ありふれた悲惨な若い時代を過ごした。今は愛する人と暮らし、人に胸を張れる仕事に就き、貧乏でも裕福でもない普通の暮らしをしている。

あの地獄を抜け出ることが出来た今、墓場まで持っていこうと思っていたことが山ほどある。しかし、アラサーになった今でも死にたいと思う欲求は、どうもこの時代をまだ引きずっている自分がいるからだ、と気づき、すべて書いてみることにした。

書くことは苦しいが、抱えておくことも苦しい。


●苦労のない幼児期

12歳まで花子は裕福な家庭で育った。
校区内で最も広くて高い家に住み、高いピアノやペットに囲まれて、元気で優しい両親がおり、欲しいものは何でも親が買ってくれると信じていた。高い服を着て、欲しい玩具を買ってもらい、休日はホテルでランチやディナーといった生活が日常だった。


●変化

花子は私立中学に行くべく、進学塾に通っていた。小学校6年生の冬だった。

それはある日突然やってきた。

母が「お父さんと離婚してん」と伝えてきた。
最初は意味が分からなかった。父は仕事が忙しく、あまり会うことがなかったから、正直なところ「ふーん」としか思わなかった。それがどういうことになるのか分かったのは、1週間ぐらい経ってからだったと思う。

・家を引っ越さなければいけない
・習い事はすべて辞める
・私立中学には行けない
・ペットも手放す
・ピアノも売却する

最初に言い渡された内容はこのようなものだったと思う。
なにより、毎日必死で勉強していた花子にとって、私立中学断念は何よりも苦しかった。何のために遊ぶこともせず毎日毎日勉強してきたのか。受験1か月前に言い渡されたことに唖然とした。これは人生で初めての挫折だった。今思えばたいしたことない、と頭で思えるが、多感な年ごろでそれが全てだった花子にとって受験も習い事もすべて無くした状態は、「頑張っても報われない」とインプットされるには十分なものだったのだと思う。


●貧乏

引っ越した先は、ひどく狭かった。
5LDKから1Kの家に、母、花子、弟の3人で引越した。
ちょうど4月に入るころで花子は中学生になっていた。

ずっと目指して見学もしていた綺麗で整った私立学校ではなく、近くの古い学校に通うことは苦痛であった。勉強内容もすでに学習したものがほとんどであったし、なにより仲の良かった友人は私立中学に行ってしまい、惨めに感じていた。

なにより惨めだったのは、体操服を買うお金が無かったことだった。
体操服が欲しいのに、買うことが出来ない。それは初めて経験する“貧乏”だった。花子は小学校6年生の正月に親戚から貰っておいてあったお年玉を使って自分の体操服を買った。もう数百円しか残っていなかった。

専業主婦だった母は昼の仕事に加えて、夜の仕事も始めた。
そんなおり、まだ小学校1年生の幼い弟が熱を出した。深夜だったと思う。母はいない。もちろん父もいない。弟は洗面バケツに嘔吐しつづけている。大丈夫だからね、と言いながら花子は泣きそうだった。水分を与えなければ、と思ったが家には何もない。都会の町に住んでいたから、夜に一人で家を出たこともなかった。花子は、手元に残っていた数百円のお年玉を握りしめて、夜に自販機まで走って買えるだけ栄養ドリンクを買って走って帰った。弟は、飲んでは吐いた。ようやく弟が眠りについたとき、香水くさい酔っぱらった母が帰宅した。今になって思えば、母は私たちのために慣れない仕事をしていたのだと思うが、その時の花子にとって母のその姿は“知らない人”“母として受け付けられない”姿だった。

そして母の精神状態もおかしかったのである。(続く)